2016年4月30日土曜日

「戦争法廃止4市共同市民の会」創立総会 開かる! -その2-

 総会では、

経過報告、会則などが決められ、世話人の紹介のあと、「憲法九条にノーベル平和賞を」の実行委員会の鷹巣直美さんから特別報告がありました。野党共闘によって多数を占め、戦争法廃止する勢力をつくるための運動をミナカナという団体やママさんの会などでも精力的に進めているお話でした。実践的なお話なのでとても好評でした。

 続いて各党からのメッセージやお話がありました。社民党、生活の党からはメッセージがとどき、日本共産党はあさか由香さんが直接お話ししてくれました。また、民進党とはまだ会えず22日に会うとのことでした。
以下メッセージ等です。

      あさか由香氏(日本共産党・参院神奈川選挙区候補)発言概要 
 皆さんこんにちは、参院神奈川選挙区に立候補しています「あさか由香」と申します。
いま日本共産党は熊本地震で熊本、大分の被災者の救済と二次災害の拡大防止に全力で当たっています。それと原発の不安が大きいのです。原発の避難計画に新幹線と高速道路が入っているのですが今両方ともストップしているのです。事故があったら、避難できないという心配もあります。それに今も電力需要は原発がなくても十分間に合うのです。先日政府に原発ストップを申し入れをしました。人命第一に他の野党とも力を合わせて頑張りたいと思います。
 戦争法については、絶対廃止していかなくてはなりません。湾岸戦争のころ安倍首相はアメリカととも 
に血を流せといわれ、血を流す同盟づくりに懸命ですが、私は高校生の時に血ではなく汗を流せという、 
カンボジアや中東で学校をつくる活動に参加してきました。
 また貧困と戦争をなくしたいという思いで19か国を回りさまざまなボランテイア活動に参加してきまし
 た。
 今、私自身も1歳と4歳の子どものママとして、だれの子どもも殺させないという思いで取り組んでいま 
す。
 1999年インドとパキスタンの戦争がありました。所がカラチにいたときに、自国の他の場所で戦争中であ 
るにもかかわらず、人々は殺し殺されることに慣れっこになっている日常を見て戦争がいかに恐ろしいの 
か理不尽なものか実感しました。
 また友人で韓国人がエクアドルに永住権があったのに徴兵されてしまったが、国家権力というのは強い 
と改めて思わせられました。
 こういう体験を通して私は憲法9条を絶対守らなければならないと思いました。戦争法を廃止するために
は閣議決定を取り消させること、そのためには安倍政権を倒さなければならないのです。いま、どの野党 
も一党としてはその力量がないので、安倍政権に代わる野党連合が必要です。市民と野党が力を合わせた
共闘した勢力こそが国民の前に安倍政権に代わる選択肢であると示すことができます。その実現のために 
頑張るつもりです。
 皆さん一緒にがんばりましょう。

 
 
 
 (サイズの変更ができずにやや小さすぎてすみません)
 

2016年4月24日日曜日

「戦争法廃止4市共同市民の会」 創立総会 開かる! ー その1

 戦争法に反対する運動が全国的な規模で起こっています。安倍政権の憲法を無視した集団自衛権の行使容認の閣議決定から、安保法強行採決など、立憲主義を無視したやり方は多くの良識ある国民の不安と怒りのもとになっています。
 
 今回の4市はともに基地を抱えたりその被害に苦しんだりしているうえ、あっせん利得問題で刑事事件にまで発展している甘利議員の選挙区である13区です。
 
 これらの事を考えると、4市の市民団体が個別的に運動を進めるとともに、共通の課題では力を合わせて取り組むことによって大きな成果が得られると確信します。座間・九条の会は申し合わせ事項にそって、他の団体と共同して、「戦争法廃止座間市共同市民の会」の発足させ、4市の行動に加わることにしました。

 17日の創立総会は、140名もの参加者で座れきれないほどの盛況でした。総会にて提案可決された概要をお伝えします。

 

 






*決まった会則は以下の通りです。

 
戦争法廃止4市共同市民の会 会則 


 

1(名  称)この会は、「戦争法廃止4市共同市民の会」と称する。

2(事務所)この会は、神奈川県綾瀬市、海老名市、座間市又は大和市(50音順)のいずれかに置く。

3(目 的)この会は、次の4項目を目的とする。

〇 戦争法(2015年安保法)廃止・9条明文改憲反対

〇 集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回

○ 立憲主義堅持

〇 野党は共闘せよ

(事 業)この会は、前項の目的を達するために、上記4市を中心に様々な活動を行う。

5(賛同者)この会は、上記4市の市民・団体で、前項の目的に賛同する者すべてが参加でき、その意思表示により入退会する。

6(経 費)この会に必要な経費は、寄付によってまかなう。

7(役 員)この会の役員として、賛同者のうちから以下のとおり役員を選任する。

(1)  共同代表4人以上(各市から1人以上)

(2)  スタッフ(各市から2人以上)、その中から事務局長1人、会計1人

(3)  会計監査2人

8(運 営)この会の運営・活動の基本方針決定並びに役員選任は賛同者会議により行う。賛同者会議は年1回以上または共同代表の招集あるいは5分の1以上の賛同者の要請により開催し、出席者の過半数によって議決する。

  日常業務については、共同代表の合意により決定する。

9(会 計)会計年度は暦年により、会計は年初めに遅滞なく会計監査を受けたうえで、役員会及び賛同者会議に報告する。

10(改 正)この会則は、賛同者会議にて出席者の3分の2以上の議決により変更することができる。

11(付 則)この会則は、2016年4月17日のこの会の成立から適用する。
 
 

2016年4月18日月曜日

戦争体験(1)   昭和20年、四国、徳島県への空襲ーその②

  *木漏れ日さんの徳島での戦争体験その②です。原爆投下と終戦直後の様子です。
          
           「原爆投下と敗戦」     

 昭和20年 日本全国の大都市は言うに及ばず,中都市も爆撃されて、壊滅的な損害を受けていた。軍需産業のある工場近辺なども、爆撃されて大きな被害を被った。 

 人々は、日本は戦争に負けるかも知れないと思い始めたと思う。

8月6日<広島に大型爆弾>が投下された。

テレビの無い時代。あのおおきい「きのこ雲」はどこで知ったのか記憶にはない。大きい破壊力と,残忍とも言える殺傷能力をまえにして、時の為政者は戦闘続行は不可能と考えたか?

 3日後には、長崎にも同様の爆弾が投下された。そして運命の8月14日を迎える。明日8月15日の正午に「重大放送」があると事前の報道で知る。当日、被災を免れた、祖父の古いラジオを玄関において放送を待った。

 近所の人達も、ラジオの周りを囲む様にして放送を待っていた。 やがて時がきて 雑音とともに、少し甲高いように聞こえる天皇陛下の声を聞いた。

<戦争は終わった>と思った。今でもその時の玉音放送で聞いた言葉の一節が頭に残って消えることがない。 「,,,,,堪え難きを堪え、忍びがたきを忍び 、、、、」と。

 放送のあと、母親は何故か涙をながしていた、何故泣いたのか、確かめる術もないが、聞いて見たい思いは今もある。

 わたしは、心中喜んでいた、もう空襲が無いんだ! ゆっくり寝られる、その事がうれしかった。大人には別の心配があるようで、 女の人は ,山の奥のほうへ隠れ住むのが良いのでは、と 真剣な会話を耳にした。

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 今にして思うことは、もっと真実に向きあって,本当の事を語るべきだと、敗戦に違いないのに、「休戦」と言ったり「終戦」と言ったり、「占領軍」なのに、「進駐軍」と言わせたり。「東京裁判」を,戦勝国である「連合国」の一方的裁判というなら、日本国民自身が、この戦争の責任者が誰であったかを検証すべきだと思う。

 戦争を体験した、政治家がめっきり少なくなり、次第に雲行きが怪しくなりつつある。「集団的自衛権」然り。

 NHK会長の発言を聞いていると,まさに,時の政権である軍部に翻弄された、戦時中の「日本放送協会」に逆戻りしたかと思った。

 二度と「戦争」が出来る国にしてはいけないと思う。今生きている子供達と,これから生まれであろう子供達のためにも。

 

                                                      (木漏れ日さん)

 

2016年4月12日火曜日

「戦争法廃止四市共同市民の会」創立総会へご参加ください。各党のあいさつやメッセージがあります。

綾瀬・海老名・座間・大和の4市で「戦争法廃止4市共同市民の会」の準備会ができ、
4月17日に創立総会の運びとなりました。

下記の要項でありますのでご参加ください。

なお、

①「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会共同代表の鷹巣直美さんからの報告もあります。

②各党のメッセージや挨拶があります。



4月17日、「戦争法廃止4市共同市民の会」(仮称)にご参加を

昨年9月、新安保法(戦争法)が成立し今、安倍政権は、集団的自衛権を全面的に行使するために憲法の明文まで変えようとしています。これからの国政選挙がとても大切です。
そこで、神奈川県綾瀬市、海老名市、座間市、大和市に在住する者らで「戦争法廃止4市共同市民の会」を作ろうと思います。厚木基地と座間キャンプの地元の我々が先頭に立たないと。
賛同者になってください。創立総会にもご参加ください。討論のうえ実効性のある活動を。
                          
                           記
日 時  2016年4月17日(日)

午後2時00分~4時50分    受付:午後1時45分

場 所  大和市生涯学習センター 308特別室   (大和駅から徒歩9分)

200 開始


210 記念講演 (岡田尚弁護士)

「戦争法廃止のために-改憲と選挙」

300 創立総会 
330 討論など
450 閉会   (参加費無料)

  
   


講師紹介
 1945年、朝鮮半島の忠清南道天安郡生れ
引き揚げ後、父母の故郷・熊本県玉名市で育
つ。早稲田大学法学部卒業、弁護士。
横浜弁護士会副会長、
神奈川労働弁護団会長、厚生労働省神奈川
労働局紛争調整委員会会長、
「九条かながわの会」事務局長など。
著書に
「人はなぜ闘うのか」1996年「証拠は天か
ら地から人権弁護士の立ち位置」2015
         2016年春
    
  「戦争法廃止4市共同市民の会」準備会

連絡先   
242-0021 
神奈川県大和市中央2-1-15-5F
大和法律事務所
 電話046-263-0130 FAX046-263-0375

2016年4月7日木曜日

戦争体験(1) 昭和20年四国、徳島市への空襲 -その①


 *故郷が徳島の木漏れ日さんに空襲の戦争体験を書いてもらいました。現在80歳過ぎの木漏れ日さんには70年以上も前の事なのに生々しい記憶が残っているようでした。3回連載します。*
   
    昭和20年四国、徳島市への空襲 -その①
  
 人口は26万人、山あり川ありの街で海にも近く,申し分のないふる里です。

  数々の思いでとともに父母の面影がこの地には今も色濃く存在します。

 体験は昭和20年にこの地徳島で起きた戦争のひとこまです。

 初めて体験する、「警戒警報」に続いて「空襲警報」。そして、「敵機来襲」、小さく唸る爆音で空を見上げる、銀色に光る小さい物体が、糸のような雲(飛行雲)を引いて,南から北へと飛んで行った。

阪神地方を偵察する目的で来たものと思われた。

 目的が終わって引き返す飛行機をラジオ放送では「、、、で遁走せり」と報道しているのが不自然に聞えた。

 わたしには必要な調査をして、ゆうゆうと帰路についていると感じた。 

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 何日か経って、京阪神地方へ,B29の爆撃が始まる。土佐湾上空から侵入し,徳島を通過して阪神へ向かう。



 その度に徳島では,警戒警報に続いて空襲警報が発令される。やがて目的を達成して返り道,おそらく、残った爆弾の処理として,徳島に投下して身軽になって帰って行く。 ひゅーっ という 不気味なおとのあと 大音響と地鳴りがした。 「爆弾投下」

 このようなことが続く中では,学校にまともに通って一日を過ごすことは殆どなかったように記憶している。生徒は自宅退避として下校することとなる。 

                ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

 昭和20年7月3日 この頃になると,警戒警報は出ず、いきなり空襲警報が発令されたりした。

 殆ど時を同じくして,B29の爆音が聞こえたりもした。 ラジオの放送は正確に報道する機能をなくしていたのだろうか?        

 毎夜の空襲に,夜中に起きるのは慣れっこになっていた。この夜も、家の中に作った防空壕には入らずに,直ぐそばに ある「眉山」の麓につくられた,大きな横穴式の防空壕に向かった。 横穴の中には,70人から80人位いた。 

 
 父親は町内会の消火要員として家に残っていた,母親と兄弟3人がこの横穴に入っていた,どのくらいの時間がたったのか、B29の爆音と一緒に辺り一面が昼間の様に明るくなった、それは「照明弾」というものだった。ザーッというおとがして、焼夷弾が投下された。もの凄い地響きと,横穴の天井から,パラパラと砕けた小岩が落ちて来る。
 
 横穴の入り口にも落ちてきた焼夷弾の炎が一ぱいに広がって、入り口を塞いだ。避難していた人たちは,入り口から離れて奥の方へ移動した。瞬間 もう逃げられないと思った。この時 一人の男の人が,炎のなかを外へ飛び出した.。        

 母は、3人の子供を自分の胸に抱え込んで,「死ぬときは皆一緒に!」と叫んだ。 恐怖感はなかった。      

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 数時間後、焼夷弾の投下が止まった、入り口を塞いでいた炎も消えていたので横穴から外に出てみた。体全身が真っ黒になった人が座っているのが目にとまった。多分炎の中を飛び出した人だと思った。                 

 我が家のある町の方を見るとあたり一面が火の海となっていた。低く唸るようなB29が低空飛行で飛んでいた。胴体が  地面の炎に照らされて紅く光って見えた。      

 勝ち誇ったようなB29の大きな機体が、こんな低空を飛ぶのを初めて見た。それを攻撃する音も,飛行機も飛んではいなかった。  


 横穴のあった付近では、家族の安否というより,生存を確認し合う光景が、大声で肉親の名前を呼んで探す人達が大勢いた。

 消火要員として自宅にいた父親がわたし達の名前を叫びながら探していた。無言で再会を喜んだと思うが,このときには、もう人間的な感情を失っていた様に思う。父が懇意にしていた友人宅を目指して横穴防空壕をあとにした。      

 まだ、町中の方々で1メートルぐらいの炎をあげて燃えている所をよける様に前に進んだ、川のほとりには、熱さにたえかねて,川に入った人が大勢いて、みんな動く様子も無く,浮いていた。
 
 やがて父の友人宅(寺院)についた,境内に黒く焼けた動かない人間がびっしりと並べられていた。何故か 怖いとか,悲しいとかそんな感情は皆無だった。   

 この寺の住職には会えなかったのか,黒く焼けた丸太のような物体を,またいだり,よけたりしてこの寺院をあとにした。

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  その夜は 徳島市内から少し離れた,お寺の境内で一夜を過ごした。真っ暗な境内で ごろっと横になると顔中に蚊がたかってきた,その数、尋常ではない、手で顔をたたくと,,手のなかで蚊の死骸がいっぱいになる。そんな中で一夜を過ごした。

 不思議にも空腹の感覚を抱いた記憶がない。 

 
 翌朝、市内の方向に目を向けると、今まで見たことも無い光景があった。視界を遮るもの全てが焼失し,遠方の地平線が見えた。

 途方にくれるには、十分な景色だった。 とりあえず母の実家がどうなっているか,確認のためその方向へ歩き出した。

 全くの着の身着のままでしたが、母が持つ荷物のなかには、先祖の位牌と過去帳があり,空襲の度、持ち歩いていた。

 母の実家は,奇跡的に,辛うじて焼失を免れていた。 2軒続きの長屋でしたが、路地を挟んで隣の家は焼失して跡形もなく,庭の立ち木だけが残っていた。祖父母は健在で、とりあえずここに同居させてもらうことになった。
 
 以前,町の商店街であった焼け跡には、もとは酒蔵だったか,大きな樽の底に,焼け残った酒が残っていて、すくいとって持ち帰る人が、また木の樽は焼失して,中身が山型になって残っていて、それは幾分焼け焦げてはいるが、明らかに味噌だった。

 わたしも、この味噌と追加して片栗粉を無断で頂戴して持ち帰った。 ごめんなさい!
 (以下②に続く)